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2022年12月
新春を迎えるにあたり コロナ禍の中、皆さんにお会いする機会も減っているのですが、つれづれの思いを書かせていただきます。 戦後、「教え子を再び戦場に送るな」の合言葉の元、日教組運動は進められてきました。 しかし、ここにきて、戦後が戦前になりそ…
以前からメディアについては問題があると考えています。毎日流されるメディアからの情報は、テレビもラジオも新聞もどの媒体も同じ論調を繰り返します。そして、毎日同じ情報を受ける側は、意識するとしないに関わらず、その情報にからめ取られ、社会意識となって、それがあたかも正しいものとの認識をもたされていきます。
マスコミにはスポンサーがあり、そのため、スポンサーの都合の悪いものは基本的には削除されていきます。政治についての討論番組もあらすじは決まっていて、時間内に収まるようになっています。それをさも本物のように感じさせることが、その番組のディレクターの手腕となります。
免罪事件に絡んでも、マスコミの報道のあり方に疑問を感じます。犯人と決まっていなくても警察や検察や発表したことを報道し、犯人にしたてあげる一翼を担います。仮に、無実と分かっても、その前に報道したことの責任は全く取りません。 メディアは正義の味方や庶民の味方ではなく、恣意的にゆがめられた情報を操作できる大きな権力であることを痛感しています。
毎日、大量に垂れ流し続けられる報道の中身を、一度立ち止まり、本当にそうなのかと考えてみることが必要だと感じます。